思っていたよりアメリカには旨い寿司屋も多かった。

アメリカには普通に美味い鮨を出す寿司屋も結構あった

数年前日本に帰ってきた当時、
僕がアメリカの寿司屋で働いていたということを他人に伝えると、
アメリカに行ったこともないような人から良く

「アメリカの寿司屋って不味いんでしょ?」
とか
「偽物の寿司屋しかないんでしょ?」

とか言われることが多かったのですが、
まずブランドバックじゃああるまいし、寿司屋に本物も偽物もあるのかって感じなんですが。

それはいいとして、まあ僕自身もアメリカで生活する前や、
生活をし始めた当初はそんな感じに思っていたのですが、

実際にアメリカで暮らしてみて、寿司職人修業をしてみようと思い、
色々な寿司屋を調べてみると、

以外にも旨い鮨を提供する店が結構あることを知りました。

旨い鮨は日本でしか食うことができないと思っている人も多いかと思いますが、

はっきり言って海外にも美味い鮨を出す店はあります。

まぁ、飯の旨いか不味いかなんて個人差のある不確定なものですが、

少なくとも僕個人の経験からの感想としては、
アメリカにも美味い鮨を提供する寿司屋はあります。

アメリカで普通に旨い鮨を作れる理由

現代では空輸の質がかなり良くなっているので、
魚も割と新鮮な状態で日本から届いていたりもします。

ボストンのマグロだとかイワシだとかも旨かったり、
米国内からくる魚も日本に比べると多くはないですが、
普通に鮨ネタにして旨いものもありました。

カリフォルニアの海にも旨い鮨ネタがあった

カリフォルニアのサンディエゴは海に面した街なので、

当然ながら海産物が揚がります。
それなりに寿司にも使えるものはありました。

伊勢海老みたいなロブスターだとか、
サバやブリもいました。
(サバは何故か不味すぎて食えたものではなかったですが。)

特に印象深く、今でもはっきりと覚えてるのが、
サンディエゴ産のウニがやたらと旨かったことです。

ウニ特有の磯臭さが少ないのですが、
しっかりと濃厚なクリーム感はあって、
東京にいる今でもまた食べたいなと思う時があります。

ちなみに僕は今、
諸事情あっておそらくアメリカに入国することはできないので、
しばらくはかなわぬ思いですが、良き思い出です。

サンディエゴの寿司屋で働いていた時によく仕入れに行っていたウニの加工業者で知ったことなのですが、

ウニはどうやらデリケートなものらしく、産地意外に出荷する際には、
生のままで発送すると表面が溶けてしまって見た目的に商品価値が下がるので、
ミョウバンや、塩水などで何かしらの加工を施さないと商品として発送することができないみたいです。

東京で暮らしていた子供の頃の僕は、
加工されていないウニを食べたことがなかったので、
ウニを有難がる人の気持ちがよく解りませんでした。

「ウニに高い金払うなら牛丼でいいわ!」

とか思っていたくらいでした。

サンディエゴで旨いウニを食べて以来、ウニが好きになったので、
大人になってから、東京に帰ってきた今はウニを普通に食べますが、
サンディエゴで食べたウニ程はうまいとは感じません。

東京でも「はだての生うに」だとか
一般的に極上と言われているウニを食べたこともありますが、

個人的にはサンディエゴで食べた飲食店にしか降ろされない最上級グレードのウニのほうが好きです。

意外にも結構旨いカリフォルニア米

日本ではそんなに知られてないと思いますが、
カリフォルニア米ってのも結構旨かったりもします。
昔はそんなにカリフォルニア米に品種がなかったみたいですが、

今では「こしひかり」系のカリフォルニア米だったり、
色々なタイプのカリフォルニア米が存在しているので、

鮨に使われるシャリを作れる環境は普通に整っています。

日本から包丁や調理器具、加工食材を輸入している業者も多数存在していましたし、

それだけ環境が整っていれば普通に旨い鮨作れるよねと納得したのを覚えています。

それでも全体的には不味い寿司屋がほとんどでしたけどね。

昔は好待遇でアメリカに迎えられてた寿司職人

アメリカの寿司屋で働いてるときに社長から聞いた話ですが、

現在60~70歳くらいの寿司職人達が、
30歳くらいだった頃、

米国民の食育に対するレベルの低さを危惧した米国政府が、
なぜか日本の板前達に対して、たしかZビザという

(現在では違う名前のビザに変更されているみたいです)

いわゆる社会的地位の高い人向けの就労ビザを発行していたらしいです。

その当時渡米してきた日本人の寿司職人が、
ちらほらと独立して店を構えていたのですが、
そういったタイプの店はうまい鮨を提供するところが多かった印象です。

アメリカで出会った高齢の寿司職人達は、
偏屈な爺ももちろんいましたけど、

日本で出会った高齢の職人達より、感じのいい人が多かった気がします。

そのおかげで僕の修業時代は、
日本で囁かれているような辛く厳しい寿司職人の修業って感じではなく、
楽しく明るいものでした。

しかしながら僕がアメリカにいた時には、
既に日本人の調理師が好待遇で就労ビザを発行してもらえる時代は終わっていたので、

そのままアメリカに滞在しようと思えばできないこともなかったのですが、
結果的に日本に帰ることを選択したんですけどね。

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