アメリカで寿司職人としての伝説が始まりました。

生活

きっかけ

寿司職人になろうと思ったきっかけは、
寿司職人になれば女性にモテるんじゃないかと思ったことからです。

正確には、
寿司職人になれば白人の女性にモテるんじゃないかなと思いまして。

まあ結果的に特別白人限定で女性にモテるようにはならなかったものの、

元々引っ込み思案で容姿も決してイケメンなどと言われる様な感じではないので、あまり女性にモテるタイプでは無かったのですが、

12,3年程寿司職人をやってみた現在では普通に女性と違和感なく会話したり、
遊んだり、
お付き合いしたりはできるようにはなりました。

寿司職人になれば必ずしも女性にモテるようになると言うわけでは無いと思いますが、
確実に会話やコミニケーション能力は上がったと思います。

話が多少逸れたので戻します。

大麻の存在

僕が寿司職人なろうと思ったのは今から12年程前の2008年頃の、
米国カリフォルニア州のサンディエゴでの事でした。

2005年頃、
東京育ちの僕は当時、
日本では今でも違法薬物として扱われている大麻に対する興味で溢れていました。

「このまま東京で暮らしていたらいつか逮捕されるんだろうなぁ」

などと考えていた矢先に出会ったカリフォルニアあたりのミュージシャンのMVの中で、
アメリカ人が白昼堂々と街中を大麻を大量に持ち歩きながら遊んでいる映像に衝撃を受けた当時の僕は、

「ヤッべーカリフォルニア行けば大麻吸いたい放題じゃん」

と思い、

東京池袋の居酒屋で、
約一年間地獄のような環境下の中、
調理のバイトをして、

(その時は最悪に嫌でしたが後にここでの経験が役に立ちました)

渡米資金を貯め、
それだけでは足りなそうだったので親に金を借りて、

2006年頃、
何も考えずに大麻を吸いに行く為だけに渡米しました。

渡米生活

サンディエゴでは、
当時大麻はまだギリギリ違法でしたが、
(現在では合法化されています)
大麻を持っていても逮捕されることなく警察も黙認状態で、
東京にいた時思っていた通り、

大麻吸いたい放題の研究し放題でした。

暮らすためには金を稼がなあかんと、
サンディエゴで知り合った先輩に日本食屋のオーナを紹介してもらい、
そこでホールスタッフとして働いたり、

(アメリカはホールスタッフの方が厨房のバイトよりチップの割合が良かったので)

寿司屋のマネージャーだとか、
中古車ディーラーをやっていた先輩の手伝いをさせてもらったり、
他にもここには書いていいのかわからないような事をして生計を立てながら、

のらりくらりと、ブリブリと大麻を吸いたぐりながら毎日を平和に暮らしていました。

僕が寿司職人としての修業を始めるまでには、
三段階くらいのPHASEがありました。

バイト時代

日本で暮らしていた時にも調理のバイトはしていたのですが、
寿司屋というのはとても格式の高い世界に感じていたので、
寿司職人になろうとは考えもませんでしたが、
サンディエゴに移住してから、
海外の寿司屋を見て、
このくらいなら多分俺でもできるな、
むしろ俺のほうが上手いかもなと思ったくらいの段階の話です。

当時住んでいた近隣の寿司屋に行った時に、

「お、海外なのに寿司食えんじゃん!」

と思って入った寿司屋で出された鮨を見て、

鮨なんて握ったことなかったし、
魚のさばき方もよくわかっていなかったけれども、

「これが鮨として売られてるのか、僕がやった方がうまいの作れるなー」

と思ったのを今でもよく覚えています。

当時僕が居たサンディエゴには、
ものすごい数の寿司屋があったのですが、
そのうちの七割程が露骨にうまくない寿司屋でした。

僕は今でも、
基本的に鮨に対して、
シャリの上に魚が乗っていればまあまあ旨いと思っているのですが、
それでも旨くないと思う程の寿司屋が多かったです。

後に寿司職人になってから、
なんであんなに旨くない寿司屋が多かったのかがよくわかりましたが、
それはまた今度話します。

白人女性との出会い

次に寿司職人になろうかなと思ったタイミングは、
寿司屋のマネージャーをやっていた先輩の手伝いで、
仕入れした食材の搬入についていった時の事でした。

日本で生活していたころは、
寿司職人に対する憧れみたいなのもなかったですし、
それになるメリットも感じていなかったのですが、」
この時初めて、
「寿司職人になったら色々といいことありそうだなー」
と思った時の話です。

英語なんて全く勉強せずに、
なんとなくふらっと温泉旅行にでも行くような気分でサンディエゴに来た僕は、
当時殆ど英語が喋れませんでした。

そんな英語の喋れない僕でしたが、
他人と会話ができないと面白くないなと思ったので、

とにかく街をあるきまくり、
人々の会話をよく聞いたり、
買い物をしてみて、
レジの前に並んでた人の話していた事を真似してなんとかしてみたり、
赤子になったつもりで言葉をオウム返ししたりして英語に慣れようとしました。

そんな時に思ったのが、

「白人の女って凄い可愛いなー」

って事でした。

特に大学生や若い白人はとても可愛かったです。
まさに
「ナイスバディー!」
って感じの肉体美に、
小動物のような顔立ちの人が多く、
見慣れない感が当時の僕にはとても魅力的に見えて、

そんな白人女性達と、
なんとかして遊びたかったのですが、

いかんせん当時の僕の英会話力は赤ちゃん程度、
相手が何を言ってるかはなんとなくわかるけども、
何を話していいか、どう話せばいいか、なんて話しかけたらいいかなんてわかりません。
パーティー等で可愛い白人女性と鉢合わせても話すことなんてできるわけありませんでした。

そんな時代に、
先輩の働く寿司屋の前で、
先輩を待っていた時の事、

店の前を通りゆく、めっちゃ可愛い白人女性の集団が、

「どうする~?何食べいく~?」
「あ、寿司屋あんじゃん!私寿司めっちゃ好き~!」
「私も寿司超好き~!」

と、寿司に対してテンション爆上がりしているのを見た僕の脳内では、

彼女達は寿司が好き→寿司職人になれば彼女らと遊べる可能性が爆上がり
→もしかしたらモテるかもしれない

といった全く根拠のない妄想が膨らんでいたのです。

その時点で寿司職人になるのは結構ありかもしれないな、
と感じていましたがまだ思っただけで行動には移しませんでした。

学生になってみようとした

いよいよ本格的に寿司職人修業を始めようと動き出した段階の話です。

当時僕が住んでいたサンディエゴは、
東京のように二十四時間割と旨いものが歩いて食べに行けるような
便利な環境ではなく、
どこに行くにも車を運転する事が必要な環境でしたので、
必然とみんなで遊んでいる時に料理を作ることが多かったのですが、

元々調理師の多い家族構成の中で育ってきた僕は、
料理なんて誰でもある程度はできるだろうと思っていたのですが、
その時意外にも自分が料理を作ると旨いと他人が誉めてくれることに軽く驚いていました。

特に外国人の友達なんかに適当な料理を作ると、

「なんでこんなもの作れるんだ?すげーぞお前は!」

と称賛してくれたので、
もしかすると僕は料理が上手いのかなとか思わされたりしながら、
のらりくらりと大麻ばかりを吸ってポケーっとに暮らしていました。

資本主義社会の最たる場所のような米国で暮らしていくにあたって、
もちろんお金が必要なのですが、

その時の僕はここで話していいのかわからないような事をしていまして、
ある程度収入があったので、
日本食屋のホールのバイトも辞め、
特に何もせず遊んで暮らしていました。

当時22歳くらいだった僕は、
ものを考える時間だけはたくさんあったので、
色んなことをなんとなく考えていた時にふと、

「そういえば僕には、普通に他人に話せる何をしてお金を稼いでるって事や、
能力とか仕事が何にもないな」

と思い、
何かそろそろやってみようかなと、
何をするかを考えてみたのですが、
結局何も思いつかず迷走した結果、

何故か短大に入学しようとしていました。
元々学問がとても苦手だったのですが、

なんとか入学試験的なものを合格した後に、
校内見学をしている時にふと気がついたことがありました。

「あ、この感じすっーげー嫌いな奴だ、多分金だけ払って通学しなくなるな」

と思った瞬間に学生になることを辞めました。

学生になることを辞めた結果

その日の帰り道、
車の中で大麻を吸いながらしばらく考え、

「よし、ちゃんとプロレベルで料理を作れるようになろう、
せっかくだから日本ではハードル高いと思ってた寿司でもやってみよう、
あ、そういやなんとなくモテるかもしれないしな!
おーいいじゃん寿司職人!」

てな感じのノリでそのまま寿司屋の仕事を探しに行き、

そこからしばらくの寿司職人修業が始まりました。

これからは、
アメリカでの寿司職人修業時代に見たこと感じたことや、
日本との違いなんかを思いつきで話していこうかとおもいます。

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